子どもが突然病気になった日~娘のアレルギー性紫斑病闘病記1~

いまから一年半ほどまえの2014年の春、突然当時3歳だった娘のからだに異変がおきました。アレルギー紫斑病(または血管性紫斑病)という、原因不明の病気にかかったのです。

からだの不調、異変の兆候から、病名の発覚、入院、退院、その後の生活まで、当時を振り返りながら、まずは紫斑病という病気を知ってもらうために(当時はあまり情報がなくてとても不安だったので)、そして自分の記録のためにも、ブログにまとめておきたいと思います。

というのも、最近やっとあのころの日々を鮮明に思い浮かべられるようになってきて、色々と気付かされたことが沢山ありました。

後悔も反省も、それこそ一生後悔するようなこともありました。

それと同時に、娘や家族から、そして病気から、沢山の大事なことを教えてもらった気がしました。

それを、ブログというひとつの形にしてお伝えできればと思います。

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娘の足に、虫さされのようなブツブツ…。これはいったい何?

娘の異変に気が付いたのは、実家に向かう途中の新幹線の中でした。

その年の3月にはわたくしの大切な友人の結婚式があり、当時3歳だった娘と、まだ9ヶ月だった息子を連れて、千葉にある実家へと帰省していました。

「なんか足がへん」

と言った娘の足を見て、ぎょっとしました。足の膝のあたり一面に、なにか虫に刺されたような、でこぼこというかボツボツとした跡が広がっていたのです。

でも、そのころはまだ、「虫さされのひどいやつなのかなぁ?」なんてぼんやりと考えていて、まさかそんな病気だなんて思いも寄らなかったのです。

旦那さんに、

「ダニがいたのかもしれないから洋服タンスの中に防虫剤入れておいて~」

などとメールして、随分呑気に構えていました。

娘も足のブツブツは気になるものの、これといって他の不調は訴えなかったので、なんだか気になるけどとりあえず置いておくような形になりました。

夜になると「足が痛い」と泣き出すように。

実家に帰って2、3日たった夜のことです。娘が

「足が痛い、足が痛い」

と泣いて訴えるようになりました。よくみると、ふくらはぎから足首にかけて少しむくんでいます。

娘の足をさすりながら、なおかつ下の子の授乳をしながら、いったいこの足の痛みは何なんだろう?とだんだん不安になってきました。けれど、その時もまだそんなには深刻に考えていませんでした。

というのも、わたくしも娘と同じくらいのころ、よく足が痛いと夜中に泣いていたと母が言っていたのです。

「成長痛とか、環境が変わって不安になったとかそんなんじゃないの?」

という母の言葉に、そうなのかなぁ、そうなのかもしれないな…、と半信半疑ながらもむりやり納得していました。

実際に、朝になると娘はケロッと元気になって、そこら中を走り回っているのです。

けれど、気になることもありました。

ブツブツが一向に消えないこと。消え無いどころか太ももまで範囲を広げて、そのあとに紫色の跡が残っていること。

これはもしかしたら、ただの虫さされじゃないかもしれない…。

足の痛みとは別に、その点が気になって、娘を近くの病院で診てもらうことにしました。

二人の医者に診てもらっても、ブツブツの原因は分からないままだった

一つ目は家から一番近い内科医に、もう一つは小児科の専門医に診てもらいましたが、どちらも原因は分からないままでした。

小児科の先生にはアレルギー検査もしてもらったのですが、そこでも異常は見られず…。

あとから分かったことなのですが、このアレルギー性紫斑病という病気は症例が少なく、小児科医でも専門に勉強した医師でないとなかなか分からないそうです。

大学病院なんかに勤務されていた医師なら分かる人も多いみたいですけど、普通の町医者なら(特に小児科専門でもなければ)分からない医師の方が多いらしいです。

原因も分からないし、その時には娘は始終機嫌が悪く、夜じゃなくても足が痛いと泣くようになっていました。

このとき娘のそばにいてあげられたことだけが、ただ一つのちいさな救いだった

辛かったのは、この娘の足が痛いと泣きわめく姿が、実家の母には「わがまま」と映ったこと。

母は、まだ原因が分からないのに、勝手に自分の中で「成長痛だ」と解釈していました。

「そんなのはただのわがままなんだから、放っておいたら治る」

「あんたもいい加減にしなさい!!」

と、泣いている娘をおいておきなさいとわたくしに怒鳴ったことがありました。相当イライラしていたのでしょう。

でも、わたくしは絶対に娘から離れませんでした。

心の中は葛藤でいっぱいです。実を言うと、なにが本当なのか分からなくて、娘がただのわがままなのかも知れない、という気持ちも捨て切れていなかったのです。母に従属する意識が、まだ抜けきっていなかったのかもしれません。

だけど、わたくしは娘のそばにいました。ずっとずっと、足をさすって抱っこをして、背中を撫でてあげました。

それだけは、何を言われても譲れない、と思っていました。

ぎゅっとからだを丸めて、このわたくしの腕の中だけしか安全な場所はない、そんな娘の気持ちが伝わってきました。

わたくししか、この子を守れる人はいないんだ、そう思いました。

その時娘のそばを、母の言うことを聞いて離れていたら、どんなにか後悔をしたか計り知れません。死にたくなるほど後悔したと思います。

離れてしまっていたら、娘の心にどんなに傷を負わせていたことか、どんなに辛い思いをさせていたことか…。わたくしに対する娘の心も離れてしまったかも知れません。

いま思い出しても、娘はどんなに心細かっただろう、と思うのです。

自分の不調を、うまく言葉に出来なくて、どんなに辛かっただろうと思うのです。

わたくしにしがみつくことぐらいしか出来なかった小さな娘、その娘を離さないことぐらいしか出来なかったわたくしです。

そのとき出来たことは、たったそれだけです。娘のそばにいたこと。それぐらいしか出来ませんでした。

でも、後悔ばかりの中で、いまはそれだけが唯一の救いに感じています。

母はその後、娘が病気と分かってから、「あのときは怒鳴ってしまって…」と言って、少しは反省しているようですが、わたくしはまだ、あのときの母を完全には許していません。許すことが出来ないのです。

けれど、それ以上に自分を一生許せないことがこの後起きてしまうのでした。

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