一生後悔することと、入園式の日の入院~娘のアレルギー性紫斑病闘病記2~

原因不明の足の痛み、ブツブツ、あざに見舞われた娘。とうとう、友人の結婚式で爆発してしまいます。

そして、わたくしにとって一生悔やんでも悔やみきれない出来事が起きてしまうのでした。

前回の闘病記1はこちらです。

子どもが突然病気になった日~娘のアレルギー性紫斑病闘病記1~
いまから一年半ほどまえの2014年の春、突然当時3歳だった娘のからだに異変がおきました。アレルギー紫斑病(または血管性紫斑病)という、原因不...
スポンサーリンク

友人の結婚式で、不調がピークの娘をトイレで怒鳴りつけてしまった自分

それは、わたくしの友人の結婚式のことです。

その友人はわたくしのもっとも大切な友人の一人で、国際結婚をするので結婚後は海外で生活をすることになっていました。

娘の体調も心配だったのですが、なによりもその友人を見送ってあげたいという思いがあって、娘と二人で結婚式に出席しました。

挙式では娘はとても機嫌が良く、また調子も良さそうでしたが、披露宴になってからは一変。緊張や疲労もあったのでしょう、披露宴の最中に号泣しだしたのです。

わたくしは友人に申し訳ないやら、泣き出す娘に苛立つやらで、娘を抱えてトイレに駆け込みました。

そこでわたくしがしてしまったこと…。泣いている娘を怒鳴りつけてしまったのです。

なんでこんなときに!!

ちょっとのあいだなんだから我慢してよ!!

もういいかげんにして!!

そのときの娘の顔が忘れられません…。涙でぐしょぐしょになった顔で、

「ママ、ごめんなさい、ちゃんと出来ないでごめんなさい、足が痛くてごめんなさい…」

とすがりついてきました。

このとき、わたくしは怒鳴ってしまったこと、娘を傷つけてしまったこと、ムリをさせて連れてきてしまったこと、娘のことより結婚式を優先させてしまったこと…。

いろんな思いがどっとあふれてしまって、娘をだっこしながらトイレにへたりこんでしまいました。

いまでも自問自答して、後悔しています。多分、一生消えない後悔だと思います。

なんで、娘のことを一番に考えてあげられなかったのだろう。

なんで、あんなに怒鳴ってしまったのだろう。

病気だったのに、一生懸命、辛いながらもいい子になろうとしてくれていたのに。

怯えきった娘の顔が、いまでも浮かびます。それと同時に、鬼みたいに怒鳴っている自分の顔も浮かんでくるのです。

わたくしも、母と同じなのです。娘を守ることが出来なかった。守ろうとさえしていなかったのかもしれません。

娘が病気だったと知ったとき、このことは一生自分の中で抱えて生きていこうと決めました。

忘れられないのではなく、「忘れてはならない」ことなんだと、なかったことにして生きて行くなんて許されないと思いました。

たとえ娘がわたくしを許してくれたとしても、わたくしは一生自分を許すことはないと思います。

ついに病名が判明。幼稚園入園式の日は、入院した日。

千葉からの帰り、娘の足は靴がきつくなるほどにむくんでいましたが、やっと家に帰れてホッとしたのか、あまり足が痛いと騒がなくなりました。

その2日後は幼稚園の入園式。チューリップが咲いて、暖かいおだやかな晴れた日でしたが、式が終わるころにはやっぱり娘はぐずり始めました。

その入園式が終わってから、かかりつけの小児科に向かったのですが、かかりつけの先生は、娘の足を診るなり顔つきがサッと変わりました。そして

「たぶん紫斑病だと思うので、大きい病院を紹介します」

と言われ、あれよあれよという間にその地域で一番大きい病院に向かっていたのです。

たまたま、小児科のかかりつけの先生が大学病院勤務の経験があり、その少ない症例を診たことがある先生でした。

そして、運良く小児科が充実している病院との繋がりがあり、スムーズに診てもらうことが出来たのです。

その病院での血液検査の結果、娘は「アレルギー性紫斑病(血管性紫斑病)」だということが判明しました。

そして、その場で入院が決定したのです。

まさか入院するとは思ってもみなかったので、頭の中が真っ白になりました。そんな入院するほどの病気だったなんて…。

今朝の入園式から、あまりにも遠いところにきてしまったようで、世界の景色が一変しました。娘も、赤ちゃんだった坊も、旦那さんも、わたしも、あまりの変わりようにただ呆然としていました。

これからいったいどうなってしまうんだろう、娘の病気は治るんだろうか?坊は?パパの仕事は?

不安で不安で、たまらなくなっていたわたくしたちに、小児科の先生はこう声をかけてくれました。

「紫斑病は100%治ります」。いつもの道を、2時間かけて帰った旦那さんと坊

「アレルギー性紫斑病は、100%治ります。がんばりましょう」

その言葉に、ハッと我に返ったような気持ちになりました。そうか、治るのか、なら治せば良いだけだ。

とりあえず、その日の夜はわたくしが娘と病院に残り、旦那さんと赤ちゃんの坊は家に帰ることになりました。

その日はなかなか寝付けず、スマホで「アレルギー性紫斑病」、「紫斑病 ブログ」、「紫斑病 闘病」などを検索してみたり、先生は治ると仰っていたけれど、やはり不安で胸がいっぱいになりました。

中には、「紫斑病が原因で進学が出来ないかも…」とか、保育園に入れないとか、合併症の話もあり、ますます先が見えなくなってしまいました。

それよりももっと大変だったのが、旦那さんと赤ちゃんだった坊の方でした。

普段なら30分もかからないような病院から家までの帰り道、チャイルドシートに乗せた坊が引きつけるようにギャン泣きをしたそうです。

それは尋常じゃない泣き方で、死んでしまうのではないかというほどの泣きようだったみたいです。

坊も小さいながらに

「おうちになにか大変なことがおこっている!!」

と感じたのでしょうね…。

途中途中で旦那さんが抱っこしたりあやしたり、30分の道のりを2時間かけて家に帰ったと後から聞きました。

そしてその夜は、なかなか寝付けない坊と抱き合いながら、家の中をぐるぐる回って回って、旦那さんも不安で押しつぶされそうな夜だったのです。

わたくしたち家族の「日常」が、いっぺんに「非日常」になったのでした。

アレルギー性紫斑病闘病記3に続きます。

スポンサーリンク
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

よかったらフォローお願いします

関連コンテンツ

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です