歴代一下手くそだったわしらが吹奏楽コンクールの全国大会で金賞をもらえた理由

いまから約20年ほど前のお話です。当時高校生だったわたくしは、猛烈な吹奏楽部員として毎日楽器を吹きまくっていました。

自分で言うのもなんですが、吹奏楽界ではその名を知らぬほどの超有名校(東の横綱とか言われてました)、ファンも多いがアンチも多いという吹奏楽部に所属していました。

わたくしは子どものときからその吹奏楽部に憧れまくって、そこで演奏したいがためにブラスバンドに入り、念願叶って(家も近かったし、頭もそんなに賢くなかったので、というかバカだったので)入部したのでした。

が、実はわたくしたちの学年は別名「歴代一下手くそな学年」と自虐的に呼んでいたくらい、本っ当に下手だったのです。異論は出ないはず、うん。

そんなわたくしたちだったのですが、なんと吹奏楽コンクールの全国大会で金賞を受賞したのです。出来たんですよ、めっちゃ下手くそだったのに!!

ここではその下手くそだったわたくしたちのコンクールへの挑戦を振り返ってみたいと思います。ああ、懐かしいなあ。

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「支部大会で終わる」と言われたわたくしたち。楽譜読めなくて自由曲が変更、課題曲ひとつしか吹けません

わしがいた吹奏楽部は、それこそ当時は全国大会を逃したことが無くて、「全国に出れて当たり前」のようなところでした。そこから金賞が取れるかどうかが勝負どころで、支部大会なんて通過して当然だったんですね。

ところが、わしらの学年はなぜか群を抜いて下手くそ。しかも上の先輩はスターが多く、めっちゃ上手かった代。そして下の後輩もめちゃくちゃ上手かったんです。だから余計にわしらの下手くそさが映える映える(笑)。いや、そのへんの中学生のがずっと上手だったと思いますよ、マジで。

いざコンクール!!となってもなんとなくぼやっとしてたわしら。危機感があるんだか無いんだか。

初めに自由曲として手渡された曲(たしか『ローマの祭り』だったとうっすら記憶しています)も、まず楽譜が読めない、読めても吹けない。課題曲のマーチも辛うじて一曲だけ通しで曲になる程度で…。

顧問の先生とわしら3年生を中心とした(一応の)コンクールメンバー、あまりのひどさになぜかみんなで苦笑い。えへらえへら。

そんなわしらに業を煮やしたのか、顧問の先生は笑ってたのに突然氷のような真顔になり、こう言い放ちました。

「お前ら、本気でやらないと支部大会で終わるよ。」

あ、こわっ。なんかやばい。その場にいた全員が思いました。うちらってめっちゃやばいんじゃない?

その日を境に、どうしたらやばいことにならないか、つまり全国で通用する吹奏楽になるかを考えながらの日々が始まったのでした。

ひたすら全員で基礎練習を繰り返す日々。倍音が出るまで終わらない

やばいことになったわたくしたち。まず何から始めたかというと、とにかく丁寧に基礎練習をすることでした。曲の練習なんてほとんどしない、というか出来ない状態でした。

「ドレミファソラシド、ドシラソファミレド」の音階をスケールというのですが、そのスケールをひたすら全員で繰り返し、違う音階でまた繰り返し、こんどはリズムを変えて繰り返し…。

そして「倍音」の練習です。

この「倍音」というのは、細かい説明は省きますが、同じ音を複数の人数で演奏すると、一つの音しか吹いていないのに和音(ハーモニー)になって聞こえてきます。(例えば、ドの音をみんなで吹くと、ソとミも聞こえる)

これは音の音程が合えば合うほどはっきりとハーモニーになって聞こえてくるのですが、誰か一人でも音程がずれると聞こえにくくなってしまうのです。つまり、倍音練習は音の高低さを鍛える耳の訓練でもあるのです。

この基礎練習を、辛抱強くひたすら繰り返す日々でした。

はっきりいってクソつまんない練習です。一日休みの日なんかは8時間ずっとこの基礎練習なんて日もありました。拷問か。

それでも、みんな音を上げずにひたすらやり続けていました。それはなぜか、顧問が怖かったから…ではなく(ちょっとホント)、とにかくやらなきゃ!やらなきゃやられる!!と見えない伝統という名の「仮想敵」と戦っていたのです。

和音を合わせる、リズムを合わせる。たったそれだけ

いつしか季節は夏に移り変わっていました。ようやくコンクール曲の練習です。

コンクール曲の練習になっても、やっていることは同じことです。コンクール曲の楽譜を見て、和音を合わせる、リズムを合わせる。それだけをひたすら取り組んだ夏休みでした。

その和音の音合わせが特長的でした。

まず、スコアといって全パートが書いてある指揮者用の譜面があるのですが、それを楽典に長けている部員数人(賢い)が見て、どこのパートがどの和音(コード)を演奏しているのか読み解きます。

そして、そのおなじ和音を演奏しているパートを数人のグループに分けて、そのグループごとに和音の音を合わせる、という練習方法でした。

これもシステムが出来上がっていたとはいえ、グループ分けから音合わせまでほとんど部員主体で練習していたので、いま思えばたいしたものだなぁと思います。

ここで倍音で培った「耳」が生きてくるのです。

そして、そのグループに入らないパートはひたすらリズムを合わせていました。

この和音の音合わせも鍛錬がいるというか、めちゃくちゃ地味で退屈な練習です。けれど、なぜか誰も弱音も吐かずに黙々と行っていました。それは「楽しかった」からだと思うのです、楽しかったんですよ、音合わせ。

はじめはぐちゃぐちゃだったバラバラの音たちが、一人ずつ音を取って合わせて…と辛抱強くしていくうちに、いつしかものすごくきれいなハーモニーになるんです。

「えっいまのめっちゃキレイじゃん!!」

これがたまらなく気持ちがよくて、楽しくて仕方がありませんでした。もっとキレイな音、もっとクリアなリズム。それだけを思い焦がれて、楽器と格闘していました。

合宿の最後に神がかった!いまのわしらの演奏…だよね?

毎年夏は、ある湖畔の近くで一週間くらいの合宿をしていました。

そこで奇跡というか、自分たちに鳥肌がたった、まさに神がかった演奏が出来たのです。

合宿の最後の最後、お世話になった地元の方々へ、お礼を込めてコンクール曲を演奏しました。

そのときの演奏が、わたくし的には一番良かった演奏だったと思っています。全国大会でも、あのときの出来は超えられていないと思います。

とにかく自分たちの音じゃないくらいに音にふくらみがあって、倍音がガンガン響いて、普段の5倍くらいの音に聞こえました。吹いてる途中から、ゾクゾクっと鳥肌が立ちました。

「倍音」や「音合わせ」の練習は、このためにあるんだ!と実感したのです。

あの演奏があったから、そのあとの支部大会、全国大会と進めたような気がしています。

まさに「神がかった」という言葉がぴったりくる、忘れられない瞬間でした。

金賞は一番単純で一番基礎的なことをひたすら繰り返した結果

By: Brad.K

いまでもよく、ブラバンだったころの夢を見ます。

決まって音合わせをしているか、みんなで合奏しているか、の夢です。ときどき楽器が無いとか、もう30超えてるのにコンクールで吹けっていきなり言われる夢とかも見ます。先生そんな!!って焦って起きます(笑)

コンクールのことを思い出すと、普門館(当時は普門館でした)よりも何よりも、かならず一番はじめに音合わせをしていた風景を思い出すのです。それほど、音合わせに関してはやりきった気持ちが大きいです。

先輩たちから、コンクールの練習は辛い辛いと聞かされていました。

なにが辛いって「音合わせ」が辛いんです。単純だし、退屈な練習です。そしてサボろうと思えばいくらでもサボれるのもこの練習です。

でも、そこが勝負の分かれ道です。

いくらプロみたいに上手く吹ける部員がいたとしても、この「音合わせ」が徹底的に出来ていないと全国大会で金賞は取れません。断言します。

わしらの代は、下手くそだけど素直に一生懸命練習する子がたくさんいました。そして、どんなときでもどこか牧歌的で楽しそうでした。どんなにぼろくそに言われてもね。

わしらが全国大会で金賞を取れた理由はただひとつ、

「単純な基礎をひたすら繰り返し練習したこと」

だと思っています。あとは指揮者のセンス、これでほとんど決まります。

でも、コンクールの曲以外は本当にへったくそでした。もう吹き出すくらい下手。CDなんて恥ずかしくて聞けやしない。でも、わたくしはその下手なところがとっても好きでした。

最近ブログを書くようになって、吹奏楽をしていたときのことをよく思い出します。「基礎的なことをひたすら繰り返すこと」は、ブログも同じだな、と感じます。

もっとPV数上がらないかなとか、アドセンスの収益どうやったら上がるんだろうとか、すぐに考えて余計なことをしたがります。そしてネットサーフィンという闇におぼれていく…。あががが。

でも、一番地味で単純なこと、「人に伝えたい、なにかの役に立ちたい」と思い続けてブログを書いていくことが、一番の近道なのかもしれません。

これからもその気持ちを忘れずに、楽しくブログを書いていきたいです。と真面目に締めてみた。(終わりどころを見失うわし。まだまだですな)

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