からっぽになれる時間は人生を豊かにしてくれる。「意識どん底系」わしが語る幸福とは。

クッキー

うちの娘(5歳)が、なにを思ったのかバレンタインデーにクラスの男の子にクッキーをあげたいとか言い出したんですよ。バレンタインデーとか知ってるんですよ、5歳児が。まぁ知ってるか。

「けっ。な~にしちめんどくせーこといってやがるぶつぶつ…」とか思いながらも、さっきまでクッキーの種をこしらえていたわし、母の鏡。だもんで、いまわしの手がバターとか砂糖とか、そこかしらに赤毛のアン的なかほりを振りまいております。

だいたいさ、「クッキー作りたい、チョコ入ってるのね」とか言っておきながら、けっきょく作るのはこっちなのよね、まったくもう…。

なんて心でつぶやきながらも、真夜中に一人一心不乱にクッキーの種を作りながら、心は驚くほど静かに穏やかになっていったのでありました。

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手を動かすと心は静かになっていく

ブログを始めてからというもの、意識はしてなかったんですけども「ブログ脳」って言うんですかね?自分で言ってて若干恥ずかしいというか痛い感じであれなんですけど。

つまり、どこかに行ったりなにかが起きたり考えたりするときに、常に頭の中でブログにするならどんな記事になるか、どんなタイトルになるか、そもそもブログにするほどのことか、という審査?みたいなことを、無意識にやってしまうんですね。

こんな意識ひっくい系のわしでも自然にそうなってしまうなんてね。ブログってのは生きてる限りどこにだってネタは転がりまくっているわけでして。そうなるとすべてのことがブログに繋げて考えてしまうんですよ。

例えばお菓子を作るときでも、今までならネタになるかどうかは分からんとしても、写真だったり手順だったりの下準備をしていたわけ。そしてあとから記事になるかならないか精査するんですけど、わしにとってはいちいち料理過程の写真撮るのってだいぶしんどいし面倒なんです。たいがいボツになるし。

だけど、今回のクッキーは何もしなかったんです。写真も撮らないしグラム数とかもメモらないし、ただ単純に材料計って、混ぜて、粉ふって…。特に深い意味は無いんですけど、本当に純粋にクッキーの生地を作りました。

するとこれがとても楽しいのです。真夜中に、誰にも邪魔されずに、静かに静かに混ぜる、こねる、まとめる。頭の中はみごとにからっぽ。ただあるのは、クッキーの生地が上手い具合にいくかどうか。自分の中にある「あの感じ」のクッキー生地になるかどうか、それだけだったんです。

手を動かすと、それに比例して頭と心は静かになって、それが心地良い。本当に安らかな気持ちになれました。

このクッキーは母秘伝のレシピで、とてもシンプルなんですけど少し生地の具合が違ってしまうとまるで別のクッキーになってしまうんですね。なので、なるべく忠実に再現しようとものすごく集中しました。手の感触をとても研ぎ澄まさないとなかなか上手くいかないんです。なんだか家元みたいでアレなんですが。普通のクッキーです(弱気)

こんな風に夜中にお菓子を作ったのって高校の時以来でしょうか。そういえばわしは、部活の大会だとか送別会だとか、なにかイベントがあるごとに誰にも頼まれていないのにお菓子を作って持っていくような少女でした。全然そんな南ちゃん、または晴子さんキャラじゃないのに。何やってたんだわし。

でもね、思い出したんですよ。そもそもわしはお菓子を作ること自体が大好きだったってことを。小麦粉や卵や砂糖が、いろいろしたら膨らんだり良いにおいがしたり、そのこと自体にすっごくワクワクしていたんです。

いまお菓子作りってほとんどしません。子どもたちと一緒にルンルン♪なんて甘いこといっちゃあいけないっすよ、子どもとのお菓子作りは戦争、仁義なき戦いの何ものでもない。そして子どもは最後まで責任を持たないっ!!たいがい飽きてドラえもんとか見始めてせっかく菓子が出来てもちょろっとしか食べないでそのあとかっぱえびせんとか食べ始めるんだうがー!!

…いやいや、なんか話が逸れてどっかに飛んで行きましたが、とにかく久しぶりに頭の中がからっぽになりましたね。それがすごくすがすがしく、頭の中に大草原の風が吹き抜けていったようなそれ誰得なんだという妄想がふくらみました。

 詰め込み過ぎてない?頭ん中。

あんまり好きじゃない言葉なんですけど、「意識が高い」って言葉がありますよね。で、そのなんだかよく分からないけど「意識高い系」とか「意識高い風味」とか「意識高いテイスト」の人、文章に最近よく出会います。それはもうかっこいいです、憧れます、あんな風になりたいっ!と白目むいてマネしたくなっちゃいます。

で、この意識どん底系のわしでさえアホだからちょっと感化されちゃって、暇があったら何か意識の高いものを頭に入れないと!本を、コラムを、ブログを、センテンススプリングを!!(読んでないですごめんなさい)と、自分でも暇になるのが怖いくらい詰め込んでいたんですよね。からっぽになるのが怖いというかいけないことみたいに感じたの。

「その3分が積み重なると、あなたは一生で○○くらいの時間をムダにしているんですよ」

「テレビは見てないです、ムダなんで」

なんて言葉を真に受けたり、でもやっぱりテレビ見るの大好きだからな…とか思ったり、そりゃあもう頭ん中がぎゅうぎゅう詰め。しかもガラクタみたいなことでいっぱい。

「ムダ」って言葉が一番怖いのに、そのムダなことで頭をいっぱいにしてどうする、もともと許容量が少ないのに!!て、気が付かないうちにリミット越えてたみたいです。少なすぎる。

そういえば、ムダが嫌いな人って(エセ)意識高い系の人に多い気がします、知らんけど。でも、わしはムダが好きなんだよ~。ムダムダしてこその人生でない?いま門前払いされてしまいましたが。

でもさ、ムダを排除しまくってスマートに生きるぜわしはってかっこいいけどつまんないような気がするんだよね。3分すらムダに出来ない人は、何時間経ってもどんなスケジュールを組んでも満たされないような気がするなぁ。

わしなんて許されるなら2,3日はぼーっと出来るね。これには自信がある。もしかしたらもっと出来るかも。これはもう誇りに思っても良いですね、そろそろ謝っておきましょうか。

話を戻します。なにが言いたいかっていうと、上手く頭の中をからっぽにしてリセットすることってすごく大事なんだな、と感じた訳なんです。

それで、上手に生きてる人というかわしがステキだなあ、面白いなあと感じる人って、このリセットが本当に上手なんですよね。緩急がちゃんと文章にも生き方にも滲み出てきている人。そんなふうにわたしはなりたい。だれだっけこれ?

頭からっぽにしたりぼーっとしたり、何もしない時間。いまの世の中の風潮でいうと、これってすなわち「ムダ」であり、ムダは悪…まではいかないですけど、まあ印象がよろしくない。そんな気配を感じます。「贅沢は敵だ」みたいな、そんな不穏な圧力を感じます。

でも、そのムダな時間こそが大事なんだとわしは思う。本当に豊かな生き方、物理的なこと、金銭的なことだけじゃなく、心の豊かさはムダなことにこそあるんじゃないかと思うのです。

わしはこれからも、「意識どん底系」として胸をはってテレビも見るし、ガラスの仮面も読むし、朝は起きられないし。(起きろ)ムダを愛して生きていきます、どうぞよろしくお願いします。

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