萩尾望都『トーマの心臓』圧倒的な美しさに心が震える、少女漫画を越えた名作

トーマ

萩尾望都先生の『トーマの心臓』、ここ最近この本ばかり読んでいます。

読んでも読んでもなかなかその深みにたどり着けないというか、読むたびに新しい発見があり、自分のなかでレビューを書くまでにいたることが出来ずにいました。

当時、こんな人間の根底に迫るような漫画が少女誌で発表されたことに本当に驚きます。と同時にそのころの出版界の大らかさ、懐の深さに感謝したい気分です。今の商業主義第一の出版界なら、この漫画はお蔵入りになっていたかも知れない…。

改めて読み返してみて、少女漫画の枠を越えてむしろ文学作品のような味わいの漫画だと感じました。少女漫画の至高はもうここで迎えていたんだなぁ。魂を揺さぶるような名作です。

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愛、罪、そして赦し…。愛することの根源に迫るテーマ

『トーマの心臓』は1974年に週刊少女コミック19号から52号に連載された作品で、合計33回の連載となりました。何度も言いますが、こんな深いテーマの作品を打ち切り宣告したにも関わらず連載させた出版社は偉い!!

お話の舞台はドイツの「ギムナジウム」。ギムナジウムというのは、中学から高校くらいまでの男子生徒が寮生活を送る学校のことです。(ハリーポッターのホグワーツがその典型)ヨーロッパの富裕層は子どもをギムナジウムに入れることが多いみたいですね。

そのギムナジウムに通っていた、トーマ・ヴェルナーという少年が陸橋から転落死したことから物語が始まります。

トーマは「フロライン=お嬢さん」と呼ばれ、ギムナジウムのアイドルでした。そのトーマの死にみんなが騒然となる中、委員長であるユリスモール・バイハン(ユーリ)のもとにトーマから遺書が届きます。

ユリスモールへ さいごに 

これがぼくの愛

これがぼくの心臓の音

きみにはわかっているはず

この遺書を読んだユーリは、トーマが自分を愛していたこと、そしてそのことが理由で自殺をしたことにショックを受け、トーマの影から逃れようと遺書をビリビリに引き裂いてしまいます。

ちょうどその遺書を破いたその日、ギムナジウムにトーマとうりふたつの転校生エーリク・フリューエンがやってきます。そののちにエーリクと同室になったユーリは、エーリクとトーマと重ね見てしまい、やがて憎しみは殺意へと変わっていきます。

ところが、ある日エーリクが愛してやまない母親の事故死の悲報が入り、悲しみにくれるエーリクにユーリは心からの同情を感じ、次第に心を通わせ、エーリクはユーリを愛するようになりました。

かたくなに他人からの愛を拒み続けるユーリ。実はユーリには誰にも言えない秘密があったのです。その自分自身への罪の意識から、トーマを遠ざけて自殺させてしまい、またエーリクの率直な愛情に戸惑い傷付けてしまうことに自らも傷付いてしまう…。

と、あらすじはこんな感じなのですが、なんとあらすじにわしの一番のお気に入りオスカーを出すのを忘れてしまった…。

ちょっと読みかじった程度では、一見かわいらしい男の子のやおい的世界が広がっていると見えますが(実際キスシーンなんかもありますし)注目すべきはそこではないんです。

これは男とか女とかを越えた普遍的な愛の物語で、それによって苦しみ、かつ救われる姿が丹念に描かれている作品です。

なぜトーマは自殺したのか。なぜユーリは心を閉ざしたままなのか。ユーリにとってトーマとは?エーリクとは?オスカーとは?

どんどん登場人物の視点になって見てみると、物語の景色が変わるしものすごい奥深さがあるということに驚かされます。

そして、ユーリ以外のみんなに共通していることは、「ユーリを救いたい」という思いです。トーマはユーリに救われて欲しいがために命まで投げ出してしまっているし…。それがどんなにユーリを苦しめても、最後には必ずユーリは救われるという核心がトーマにはあったのでしょうか。

そしてユーリの罪。これは自分自身、ひいてはキリスト教的な神への裏切りとして描かれています。

物語の中の半年前、ユーリはサイフリートという上級生から誘いを受けます。サイフリートは素行は悪いが頭の切れることで有名で、その当時「宗教のいうもろもろの悪はむしろ善である」というキリスト教社会では挑発的ともとれるレポートを提出して問題となっていました。

サイフリートは、この主義を実証するためにユーリをおびきよせたのです。そしてユーリもまた、底知れぬ悪魔的なものを感じ取っていたにも関わらず、誘惑に勝てずに自ら餌食となってしまいました。その瞬間、ユーリは神を裏切ったと思い込んでしまうのです。

サイフリートがユーリに行ったリンチによって、ユーリは背中に無数の傷跡、そして胸にタバコの火で付けられた火傷を負い、そのことでサイフリートは放校処分となりました。

この「罪」つまり神への裏切りは、物語の中でユダに例えられるのですが、こんな哲学的な描写がよく出来たなぁ…と感心します。当時の小中学生はどれくらいことの真意をとらえられたんだろう。罪がユーリの心のなかにある限り、ユーリは人を、そして自分も愛せない。そのことを本能的に察知していたのがトーマであり、またエーリクなのでしょう。

ユーリがユダであるなら、その全てを赦し受け入れようとしていたトーマとエーリクがキリストなのでしょうか。

そして、その事実を唯一知っていたのがオスカー・ライザーでした。オスカーもまたユーリを愛し、ユーリに事件を忘れて前のように戻って欲しいと願っている一人なのです。

このオスカーにも壮絶なサイドストーリーがあり、それは『訪問者』という短編(にするにはもったいない!!)に描かれています。

オスカーのお父さんは本当のお父さんではなく、実はこのギムナジウムの校長が父親なんですね。そのことを薄々感づいていた育ての父は、クリスマスのある日オスカーの母親を銃で撃ち殺してしまいます。

幼いオスカーは、いつか読んだ絵本の一遍を思い出します。「子どもがいる家には、いくら罪人の家だろうと神さまは裁けないー」

その「家の子」になろうとオスカーは必死で育ての父に着いていくのですが、あるとき自分がその裁きを与える方、「訪問者」だったのでは、と悟ってしまうのです。

…なんとも、なんとも切ないオスカーの過去!!

これ、少女漫画ですよ?こんな少女漫画わたしゃ見たことなかったですよ。すごいとしか言いようがありません。

最後、神学校に転校することになったユーリとエーリク、オスカーの別れのシーンがすっごくいい!!まるで映画のワンシーンのように、わしの頭の中で列車の音から風のさわりごこちから脳内再生されてしまいました。

「もう一度主のみまえで語りたい…」というユーリ。自分以外の全ての人が自分を赦し、愛していたことに気が付き、ここでやっとユーリの心が救われる方向に向かいます。

わしはほとんどキリスト教のことなど分かりませんが、でもその清らかさとか敬虔さがものすごくよく現れている作品だと感じます。

これはわしの主観なのですが、宗教全般の雰囲気として「清らか」とか「律する」とか、そんなものが好ましいとされる気がしています。あくまで主観ですが。

でも、そうは言ってもなかなかそんなふうに生きられないのが人間であって、だからこそ宗教が必要なのではないか?と勝手に自問自答するのですが、その圧力(清らかでなければならない、みたいな)を上手く作品の中に生かして昇華させているんですよね。

また、最後にユーリが周りに目を向けられたからこそ自分自身が見えてきて、ずっと幸せではなかっただろうか?と思うんですけど、これもじんわり胸にきました。

やっぱり誰かにどんなに親切に教えてもらっても、自分が目を向けないと何も響かないし変えることは出来ないと思います。ユーリはやはりエーリクにすべてを打ち明けられた、ということが大きいでしょうね。洗いざらい素の自分をさらけ出せることって、本当に苦しいけれど救いにもつながりますから。

大人になったいまだからこそある程度俯瞰したところで読んでいますが、これを中学生とか高校生のときに読んでみたかったなぁ…というのが本音。あの当時この『トーマの心臓』を読んでいたら、いくらかマシな学校生活が送れていたかも知れないのに(笑)

というわけで、中高生の皆さんに熱烈におすすめしたい!!古いといって読まなかったらもったいないと思う、本気で。絵も美しすぎてさっそくうちの娘は写し絵をして喜んでいます、特にオスカーがお気に入り…うふふ。

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コメント

  1. なつき より:

    はじめまして。「トーマの心臓」を検索していて貴女様のブログを拝見いたしました。私はかなりリアルタイムで「トーマの心臓」を読みましたが(年がバレますね、笑)、フッと思い出して再読しましたら、文学作品的な箇所に改めて感動してここのところずっと読んでいるんです。「最近この『本』ばかり読んでいます」と書いていらっしゃいましたが、『マンガ』ではないんですよね・・・。同じような印象をお持ちの方がいらっっしゃって嬉しくなり、コメントを送付させていただきました。

    • amamura より:

      なつきさま、コメントありがとうございます!
      わたくしの拙い文章から思いを汲み取ってくださって、本当に感無量です。そう、いわゆる『マンガ』とは何かが違うと感じたので思いを綴ってみました。
      わたくしが一番マンガに親しんでいたころは、作り手も読み手も、『マンガ』を求めて『マンガ』を表現した漫画(何か言葉遊びみたいで分かりづらいかもしれませんが)ばかりだったような気がしますし、それが当たり前だったんですね。
      それはそれで楽しかったのですが、『トーマ』をはじめとする萩尾先生の作品や少女漫画創成期の作品は、もっとこう深いなにか、人が生きることとか性、業のようなものをマンガを通して表したい、伝えたいとしていることが感じられて、とにかく衝撃でした。
      普段本は好きで読んではいるものの、いざ文章に表すとこれでいいのか、伝わるのか、と本当に悩んでなかなかBookレビューが増えないんです。
      でも、これからも心が動かされた本は積極的にブログに書いていきたいと思います!

  2. なつき より:

    ご返信ありがとうございます。頻繁にネットを見ていないのでお返事が遅くなりまして失礼いたしました。何かお勧めの本(マンガ?笑)がありましたぜひアップしてください。またブログに寄らせていただきますね!

    • amamura より:

      なつきさま、コメントありがとうございます!せっかくお返事頂いていたのにすぐにお返しできなくてごめんなさい!
      いまは、武田百合子という随筆家の『富士日記』という本をライフワークのように毎日少しずつ読んでいます。昭和の空気感がとても心地よくて、大事な日記を読むようにして読んでいます。
      ここのところ体調が優れなくてなかなか更新出来でいないのですが、またぜひブログに遊びにいらしてくださいね。お待ちしております。

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